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広域連携事業

2020.12.03 第59回研究交流会

1.日 時

2020年12月3日(木)14:00~16:00

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 4階 ザ・テラスルーム

3.講 師①

国土交通省 中部地方整備局 港湾空港部 計画企画官 寺園 正彦 氏

 ◎演 題

『伊勢湾の港湾ビジョンについて』

4.講 師②

新潟大学大学院 現代社会文化研究科 教授 稲吉 晃 氏

 ◎演 題

『港湾の歴史と三河港の将来像』

5.参加者

58名

 
講演要旨① 『伊勢湾の港湾ビジョンについて』

『伊勢湾の港湾ビジョン』は、伊勢湾地域における2030年頃の将来を見据え、地域経済・産業の発展および国民生活の質の向上のため、伊勢湾に位置する港湾が果たすべき役割、今後特に推進すべき港湾政策の方向性等を中部地方整備局港湾空港部が2020年1月に取りまとめたものである。
伊勢湾の港湾における現状の課題として、次の7つの項目を掲げた。
1.グローバルバリューチェーンを支える海上輸送網の構築
2.港湾・物流活動のグリーン化
3.新たな資源エネルギーの受入・供給等の拠点形成
4.クルーズ需要への対応とブランド価値の創造
5.持続可能で新たな価値を創造する国内物流体系の構築
6.情報通信技術を活用した港湾のスマート化と保安の強化
7.巨大化する自然災害への対応と港湾建設・維持管理技術の生産性の向上
また、伊勢湾港湾の背後圏である中部圏の産業ストック、公共インフラの整備状況、内外の社会経済環境の変化や伊勢湾各港の中長期構想等を踏まえ、伊勢湾の港湾が目指すべき5つの基本理念と8つの目指すべき方向性を示した。
1.グローバルバリューチェーンを構築する物流機能の深化
①自動車や航空機等に代表される中部のものづくり産業を支える国際海上輸送網の構築
②新たな価値を創造する国土の中央でのシームレスな国内物流体系の構築
2.地域ポテンシャルを活用した新たな資源エネルギー拠点形成への挑戦
③世界的な気候変動に対応した新たな資源エネルギーの受入・供給等の拠点形成
④SDGs(持続可能な開発目標)の実現を環境面で支える港湾・物流活動のグリーン化
3.情報通信技術により最先端のものづくりへの進化を支える産業基盤を支援
⑤国内外を先導する情報通信技術を活用した港湾物流の生産性向上
4.国際大交流時代を拓く観光・交流を促進する人流拠点の形成
⑥地域固有の観光資源を活かしたクルーズ振興の促進
⑦スーパー・メガリージョンを見据えた魅力ある賑わい空間の形成
5.安定的な港湾機能の発揮・大規模自然災害に備えた防災・減災対策の推進
⑧安全・安心を実現する港湾の維持管理・強靭化
伊勢湾の港湾の目指すべき方向性と対応方策を踏まえ、それを実現するための重点的に取り組むべきプロジェクトとして、次の3つの先導プロジェクトを提案した。各プロジェクトの計画、実施等においては、各港湾を所管する行政や各港湾を利用する民間事業者等の関係者や各地域の実情を踏まえ実施していく。
1.AIの活用による高効率ターミナルを実現した港湾
2.エネルギーの多様化に対応した港湾の再編
3.新技術の導入による強くしなやかな港湾

講演要旨② 『港湾の歴史と三河港の将来像』

「みなと」の語源は、「水門」「水戸」:河川と海の入口、「湊」「港」:人や物が集まる地点であり、大河川の河口部と山を背負った水深の大きな入り江の2つのタイプ、また物見山・住吉神社・遊郭など共通する風景がある。港町は、人の往来が激しいため統治しづらく、戦国から安土桃山時代の日本の港町は商人の「自治」に任されており、江戸時代以降も「武士の住む城下町」と「商人の住む港町」という関係性が保たれている。
陣内秀信『水都論』によると、19世紀における交通革命(鉄道・蒸気船の登場・船舶の大型化)により、物流機能に特化した空間が出現し、「港町」は「港湾都市」へ、また港町同士の関係は「共存共栄」から「ライバル」へと変化した。明治政府は、当初は沿岸海運を国内輸送ネットワークの中心に想定したが、明治10年代後半以降、民間資本を活用した鉄道敷設へと方針を転換した。
近代日本の主要な船舶の大きさは、江戸時代の千石船の150トンから、明治41年には1万トン級まで大型化した。また、主要な港湾工事における水深は、大正期にはほとんどの地方港で3000トン級船舶への対応を目安とする水深7m程度となり、昭和18年時点では、横浜・神戸両港は最大水深12mを実現した。これに伴い、築港費用も増大することとなった。
どの港を整備すべきかについては、地域によって異なる。ヨーロッパは「都市国家の伝統」、米国・英国は「民間企業による整備」、東アジアは「ヨーロッパ諸国の植民地・半植民地としての港湾整備」であったが、日本は例外として日本政府が自ら「主要港」を選ぶ必要が生じ、「統治しづらい」港町を統治することになった。1858年「安政の五カ国条約」で横浜・神戸・長崎・箱館・新潟の5つの開港場が指定されたが、水運都市としての江戸・大阪が存在し、「築港」「開港」をめぐる東京と横浜/大阪と神戸の対立が表面化した。
日本は、中央政府の鉄道構想と地域社会からの敷設要求が合致した鉄道大国であるが、港湾は全国で1000~1400あるにもかかわらず府県レベルでの合意形成が困難であること等の理由から港湾大国とは言えず、日常の場としての鉄道、非日常の場としての港という状況になっている。
日本では、港からもたらされる利益や隣接港との競合意識を強調することにより、ライバル意識を高め、危機感を抱かせ、地域社会を説得してきた。また、府県域をまたいだ合意形成、中央官庁を利用した港湾の多様化・分業化にも取り組んできた。第二次世界大戦後、港湾法が成立(昭和25年)し、港湾整備・経営の主体は「地方」であることが明確になった。
三河港は「港町」としての歴史はもたず、本格的な開発は昭和30年代以降であり、複数の自治体(豊橋・田原・豊川・蒲郡)にまたがり、それぞれに異なった歴史と特性をもっている。
港湾は、港湾の主役としての「地方」「地域社会」の在り方、港湾の多様性に係る地域の特性・所管官庁のルートの複線化、地域と地域、地域と中央をつなぐ存在の重要性、「非日常の場」と「日常の場」の役割分担などを認識する必要がある。

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