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産学官民交流事業

2022.03.04 第220回東三河午さん交流会

1.日 時

2022年3月4日(金)11:30~12:30(※時間短縮)

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 4階 ザ・テラスルーム

3.講 師

視覚障がい者団体「さくらんぼ」代表 柳田 知可 氏

  テーマ

『心の鏡で見えてきたこと~自分らしさを見つけて~』

4.参加者

36名

【講演要旨】

病気が発症してから、今年で20年。自分自身で「はじまりの年」と位置付けている。コロナ禍で1、2月の講話活動が中止となり、今日の講演は「はじめの一歩」。
私は生まれた時から見えなかったわけではない。見えにくいと感じるようになったのは中学生の頃。部活動でソフトボールをやっていたが、フライを取るのが苦手であった。空に上がったボールが見えず、地面に落ちてから気付くようなことがよくあった。また、体育館でのお別れ会の指揮者をしたとき、照明が少しずつ消えたことで真っ暗に感じた。
高校1年生の夏、大学病院で精密検査を受けた。両親だけが診察室に呼ばれ、私の病気は少しずつ視力が低下し、視野が狭くなっていく「網膜色素変性症」であることを告げられた。帰りの車で、「少しずつ見えにくくなっていく病気かもしれないけど、今は見えているから、きっと大丈夫」と母から伝えられ、普通に生活出来ていた私は「そうなんだ」とあまり気にも留めなかった。その後、母は名古屋に何度も足を運び、「網膜色素変性症」のいろんな症状を体験しながら病気を理解することに努めた。
高校3年生の時、車の免許が取れないことにショックを覚えた。登下校のとき、友達が楽しそうに話をするのが羨ましかったことをすごく覚えている。自動車学校から案内状が届くと、目の病気のことを心の中で叫び、「なんで送ってくるの?」と悲しく、悔しい思いをした。
母は、私の将来のことを考え、整体師、マッサージ師の資格取得を勧めた。私は子供の頃から夢であった保育士を諦めきれず、短大に進学し、2年で保育士の資格を取った。家族以外に目の病気のことを話して就職活動をした。「どれぐらい見えるか?」という質問には自分が見えていないという実感があまり持てていなかったため、うまく答えられなかった。自分の実力不足か目の病気のせいかわからないが、不合格通知ばかりで辛かった。その頃24時間テレビで「網膜色素変性症」という私と同じ病気の方が出演されていた。「全盲で光を感じるだけ」というコメントを聞き、テレビの前で一人ずっと泣いていた。病気を理解した瞬間だった。「明日の朝、見えなくなるのでは?」といろんな思いが巡り、「これでは保育士になれない」と母に電話したところ、一緒に就職活動を応援してくれて、「神戸保育園」に臨時保育士として採用された。夢のかなったかけがえのない3年間であった。また、少しずつ見えにくさを実感していく3年間にもなった。自分が書いた字が線からはみ出している。紙芝居や絵本の字が読みづらい。色を間違える。まわりの先生たちに協力してもらい務めた。
結婚して、2010年に長男、2013年に長女が誕生。ご飯の水の量が分からない、買い物が出来ない、信号が分からない、鏡が見えずメイクが出来ないなど、自分ひとりでは何も出来なくなってきた。家族や主人が助けてくれるのだが、素直に“ありがとう”が言えなくなっていた。「自分はもう“ありがとう”と言われない人間になってしまった」という複雑ないろんな思いが巡っていた。子どもたちと小児科へ行った時、息子が手を引っ張り、スロープのある場所に案内してくれた。2歳の息子が安全な場所に導いてくれたことに心を打たれた。このままではいけない。「“僕のお母さん”と子どもが自信を持って言えるお母さんになるのだ」と決心した。独学で点字を習い、視覚障がい者の話しを聞くなどして、ご飯の水の量やメイクは手の感覚で、信号は音による聴覚で、少しずつ自分で出来るようになってきた。
少し自分の時間が持てるようになってきたことで、2017年からギターを習い始めた。半年後、24時間テレビ「はじめてのおつかい」に親子で出演。日本武道館で一青窈さんの「ハナミズキ」の伴奏を弾かせていただく機会に恵まれた。田原市に取材に来ていただいた女優の石原さとみさんとは同い年。初めて会ったけど、友達みたい。女優の悩みと視覚障がい者の悩みは案外共通している。最後に「私たちにしか出来ない事をやろうよ!」ということになり、視覚障がい者団体が田原市にはないということから、視覚障がい者団体「さくらんぼ」を立上げた。視覚障がい者同士で分かり合えると安心できるし、楽しめることがたくさんある。音楽活動もその一つ。お客さまからいただいた「ありがとう」という言葉は、家族以外からもらった「ありがとう」の言葉で、心に響き、本当に嬉しかった。
成章高校の「寄附ゼミナール」で、寄附金で視覚障がい者のことを知ってもらうため、音楽会を開いた。募金活動でたくさんの人に応援していただき、「福祉のまち」実現の気持ちを込めて田原市福祉基金に寄付した。2月2日に、渥美地区に初めて音響信号が設置されたが、一週間で警察から「音を少し小さくさせてほしい。」という電話が入り、ちょっと寂しい気持ちになった。健常者にとってはうるさいということも分かるし、点字ブロックは車椅子には不便であることも分かっている。一番大事なのは、視覚障がい者のことをもっとたくさん知ってもらうこと。視覚障がい者を見守ってくれて、声掛けしてくれる、そんな安心して暮らせるまちづくりを願っている。
目が見えないのが今の自分らしさ。子供たちの成長をはじめ、見てみたいものはたくさんあるが、目が見えないからこそ、出会えた人、想いや気持ち、楽しいと思えるものがある。今後も笑顔で人生を歩んでいきたい。

(ギターの弾き語り)
*1曲目:中島みゆき「糸」
*2曲目:藤田麻衣子「素敵なことがあなたを待っている」
*3曲目:藤田麻衣子、柳田知可「ありがとう」
※最後に、保育士の時代に出会った歌「虹」を、手拍子を交えて歌唱。