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産学官民交流事業

2023.09.01 第235回東三河午さん交流会

1.日 時

2023年9月1日(金)11:30~13:00

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 4階 ザ・テラスルーム

3.講 師

フリーライター/東日新聞契約ライター 由本 裕貴 氏

  テーマ

『東三河の駅・鉄道の魅力』

4.参加者

32名

講演要旨

 私は、豊川市御油町出身の40歳。御津高校、愛知大学経済学部卒業後、2005年から日刊スポーツ新聞社で9年間プロ野球やプロサッカーの担当記者として第一線で活躍していたが、東日本大震災を契機に地元への愛着が芽生え、2014年に地元に戻った。東愛知新聞社では豊川市政やスポーツを7年間担当したが、自分自身のすそ野を更に広げるため、一つの会社に拘らずいろんな会社と仕事をさせていただきたいという想いから方向転換し、現在はフリーライターとなっている。本日の東日新聞の第一面のガソリン価格高騰の記事も書かせてもらっている。発行部数は少ないが、読む機会があれば、少し気にかけていただけると有難い。
 今年3月、東三河地域にある鉄道駅にスポットを当てた「訪れたい東三河の駅」という本を神野教育財団の助成金を活用して出版した。現在、「本の豊川堂」各店で販売中なので、興味のある方はご購入いただければと思う。この本を出版した理由は、鉄道駅は誰もが通勤、通学等で必ず利用する場所であり、子どもの頃から愛着を持っていただきたいという想いからである。東三河の全小学校と図書館に1冊ずつ寄贈し、自分の生まれ育った地域にある駅に愛着を持っていただこうという活動も行っている。
 東三河には複数路線が交わる駅を1つとしてカウントすると63の駅がある。JR本線・飯田線、名鉄本線・豊川線・蒲郡線、豊橋鉄道渥美線・東田本線の駅にまつわる歴史や経緯を取材、調査し、エピソードとしてまとめた。本日は、特に自分的に面白く、趣のあるようなストーリーを一部ご紹介させていただく。
 【愛知御津駅】旧東海道の宿場町、御油宿の最寄り駅として開業したため、当時は「御油駅」と呼ばれていた。後に愛電(名鉄本線)に開業した駅は「本御油」と呼ばれ、すぐ際の踏切は今でも「御油踏切」と呼ばれている。戦時中は御津山に砲台があり、駅周辺はB29空襲の標的になったそうであるが、当駅のホームの端っこに不発弾が今も埋まっているという話を近くの元住職さんから伺った。
 【長山駅】東三河初の行楽施設「長山遊園地」があった場所である。豊川のすぐ近くで、リゾート開発でホテルや温泉があったそうであるが、戦争により圃場に転用され、結局2年ほどで閉園となったそうである。この駅の上の高架橋は、遊園地の名残として今も残っている。
 【三河川合駅】鳳来寺鉄道の終着駅として開業し、その後天竜峡駅へつながる三信鉄道開業時の出発点となり、長野、静岡方面への玄関口として賑わった。戦後は宇連ダム建設の基地として活用され、今も線路や広いスペースが名残として残っている。
 【豊橋鉄道田口線】鳳来寺口駅から三河田口駅までの約22㎞の山間部を走る鉄道。三河大草駅とトンネルは今でも残っている。平成まで残った三河田口駅の駅舎は設楽ダム建設予定地にあり、既に取り壊されている。地域に根付いた鉄道であり、バスの到着が遅れた際、バス会社からの電話で鉄道の出発時間を少し遅らせたというエピソードがある。道の駅「したら」には、田口線の車両が展示されている。
 【西豊川駅(廃駅)】豊川市の桜木公園に駅舎があり、豊川海軍工廠の従事者が利用していた。1956年に廃駅となり、支線は日本車輛専用線として活用されている。
 【高師駅】かつて緑地公園近くの旧ユニチカ工場の敷地につながる専用引込線があり、緑地公園手前10mぐらいで途切れているが、今でも残っている。ユニチカ跡地は住宅・商業地「ミラまち」に変わったが、そこに伸びる引込線に将来の「ミラまち」の発展が垣間見えるような気がする。
 【植田駅】戦時中、現在の明海町に大崎島と呼ばれた海軍飛行場があり、植田駅から大崎島に直結する引込線を造ろうという計画が一時期あったが、終戦を迎え、不必要ということで計画は幻となった。当時、ほぼ一直線に計画された線路は市道として今も残っており、地元の人は「電車道」と呼んでいる。明海町のトピー工業には、滑走路跡や正門にランタンなどがあり、近くの交差点は「海軍橋」と呼ばれるなど、戦時中の名残がある。
 【大清水駅】豊橋紡績の専用引込線があったが、今は住宅街となっており、形跡は見られない。昔の地図を見ると、駅の南側に「大清水グランド」と書かれており、野球場があったそうである。その前年に阪神甲子園球場がオープンし、当時、鉄道駅の近くに野球場を造るのがブームだったようである。
 【老津駅】貨物輸送の名残と、車庫計画を示すヤード跡地がある。高師駅に次ぐもう一つの車庫を造ろうと計画されたが、計画は頓挫したそうである。
 【幻の渥美線計画】鉄道マニアには良く知られている話しであるが、戦時中、伊良湖岬の堀切まで10個ぐらいの駅を造り、鉄道を伸ばす計画があった。亀山、三河福江のあたりに「伊良湖射場」という陸軍の試験場があったことが起因している。三河田原の先の黒川原までは電車は運行されていたが、戦局により廃線となった。宇津江までは本格的に工事が進んでおり、路盤工事を残すのみとなっていたが、頓挫することとなった。江比間から三河高木には、築堤や橋桁などの痕跡が残っている。未成工事区間は、田原町や渥美町に売却され、伊良湖岬につながる道路として渥美線計画の名残として残っている。
 【観光地・蒲郡のロープウェイ駅跡】三谷温泉ロープウェイ駅の跡地は、ラバーズヒルという名前になり、カップルが景色を見ながら訪れる場所となっている。形原温泉と三ヶ根山をつなぐ三ヶ根山ロープウェイ山頂駅の跡地は、三ヶ根山スカイラインというドライブコースから徒歩2~3分で入っていくことが可能であり、現在でもコンクリート駅跡が残っている。
 【幻に消えた「つつじが丘駅」】二川駅と豊橋駅の間は6.9㎞の距離があり、1998年に「つつじが丘駅」を造ろうと期成同盟会が立ち上がり、JR東海などに働きかけを行ったが、40億円相当の費用がかかり、経済効果が見込めないということで4~5年前に解散され、幻の計画となった。
 【豊橋臨海鉄道計画】1960年代に東三河工業開発中央専門調査委員会が立案した計画であり、御津周辺に大手鉄鋼会社が進出する計画が浮上したことがきっかけであった。JR西小坂井駅から分岐で線路を新設し、東海道新幹線をくぐり、蒲郡三谷駅から二川駅まで三河湾臨海部を鉄道で結ぼうという計画であったが、立ち消えとなった。この計画に備えて、豊川市伊奈町の若宮八幡宮近くの東海道新幹線の高架にアンダーパスが設けられたが、現在は道路や歩道もなく、雑草が生い茂っており、不思議な場所となっている。
 私はフリーライターとして、東日新聞、スポーツ雑誌、コンビニ雑誌をはじめ、豊川商工会議所の機関紙の構成なども請け負っている。今後も地元、東三河で本の出版や取材など、読みものを作る活動をやっていきたいと思っている。