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産学官民交流事業

2025.12.05 第258回東三河午さん交流会

 

1.日 時

2025年12月5日(金)11:30~13:00

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 4階 ザ・テラスルーム

3.講 師

森田 泰正 氏

  テーマ

『日本一周自転車旅、その挑戦と感動』

4.参加者

23名

講演要旨
 本日は、私の人生を彩った「日本一周自転車旅、その挑戦と感動」について皆さんにお話しできることを嬉しく思う。自転車での日本一周という経験について、話を聞かれる機会もなかなかないと思うが、実は非常に楽しい話である。今日は特に「人との出会い」に焦点を当てて話をさせていただく。
 旅を始めるにあたり、最初によく聞かれるのは、「そもそも、なぜそのような疲れることを始めたのか?」という問いである。私自身、若い頃から体育会系で、冬はスキー、夏山登山、マラソンなど、常に体を動かし挑戦を続けてきた。ホノルルマラソンにも参加し、その次はトライアスロンにも挑戦した。こうした挑戦の後には、山に登り切った時の「気持ちが良い」という感覚と同じように、胸の奥から込み上げてくるような、言葉にできない大きな感動があった。年齢を重ねて定年を迎えるにあたり、「あの感動をもう一度強く体験したい」という思いが湧いてきた。次に何に挑戦しようかと考えた時、普通の旅行では得られない「もっと違う何か」が良いと思っていた。こんなことを考えていた時に、国道1号線で荷物を満載した自転車乗りの姿を目撃した。「あれはきっと旅をしている。日本一周をしているのだろう」。この光景が私の心を強く揺さぶり、すぐにインターネットで情報を調べ始めると、日本一周をしている人々の記録に触れ、「いや、これは私もいきたい!」という気持ちが抑えられなくなった。まだ定年前であったが、「今やらなければ、きっと後悔する」と決意し、すぐに自転車を購入し、トレーニングを始めた。
 日本一周は、壮大な計画である。体力も必要で走破できるかという不安もあったが、旅先の情報を調べ、準備を始めた瞬間から私の旅は既に始まっていた。旅とは、行くか止めるかを決める「決意の瞬間」が始まりであり、その準備期間も非常に楽しい時間であった。旅の全体像として、距離は12,200kmで212日の期間を必要とした。当初は、夏の期間で2年で日本一周する予定であったが、コロナの影響で4期に分けて実行することを余儀なくされた。第1期は、2018年に名古屋を出発し船で苫小牧に渡り、北海道を一周し、本州の東北地方から太平洋側を南下して豊橋に戻る約4,800kmの行程で78日間の旅であった。第2期は2019年に豊橋を出発し太平洋側を南下、紀伊半島から四国八十八ヶ所お遍路を一周巡り大阪までの約2,000kmの行程で37日間の旅であった。第3期は2021年に豊橋を出発して北陸から佐渡島、そして日本海側を北上して青森までの約1,800kmの行程で24日間の旅であった。第4期は2024年に京都から大阪を経由して瀬戸内海に沿って下関まで行き、その後九州を一周し、沖縄を経て本州に戻り日本海側の山陰地方を通って京都まで約3,500kmの行程で73日間の旅であった。旅で使用した自転車には、前後に多くの荷物を積載した。最初は荷物が重すぎて大変であったが、経験を重ねるごとに、本当に必要なものだけを見極め軽量化した。
 旅の最大の魅力、そして楽しさは、やはり人との一期一会に尽きる。旅先で出会った「すごい人」たちの中から、特に印象深い3人をご紹介する。北海道の稚内にある「漁師の店」というライダーハウスは、知る人ぞ知る伝説の店。一泊3,000円でウニ丼や海産物、お酒も提供される旅人には夢のような場所であった。夜8時からの「酒飲みタイム」では、漁師さんが昼間に獲ってきた新鮮なアワビや貝、魚などが振舞われ、日本酒や焼酎が飲み放題であり、旅人同士が語り合うまさに交流の場であった。そこで出会った女性は、なんと90ccのバイクに幼い子供を乗せ、石垣島から二度目の日本一周を敢行しているという。子供を後ろに背負い、工夫して旅を続けているその姿に想像を絶するパワーを感じた。元看護師だった彼女は、インドをバスで二周した経験を持ち、旦那様はインド人らしい。彼女の「覚悟さえあれば、人生の制約は乗り越えられる」という姿勢は、私に大きな勇気を与えてくれた。四国八十八ヶ所のお遍路は、歩いて回ると一周1,200kmにもなる過酷な旅である。このお遍路の旅路、内子町で私は一人の住職に出会った。彼は、四国遍路を既に51回も完遂し、この時が52回目の巡礼中という、まさに「歩く求道者」だった。彼は東日本大震災で寺が流されて廃寺となった福島・双葉町の住職で、縁あって四国の内子町に移り住んでいた。震災後、彼は毎年6回も遍路を繰り返していて、年間365日の中でお遍路だけで約300日を費やしている。彼は、「お金は米だけあればいい」と言い、ほとんどの旅をテント泊で過ごしていた。彼は、「歩くたびに、景色ではなく、私の心が変わるのです。前回は気づかなかった草木の色や、人々の言葉の深さが、歩き続けることで見えてきます」と語ってくれた。彼の言葉は、旅の深さ、そして反復の中にこそ真理があるということを教えてくれた。また、下関へ向かう途中の九州で、私は驚くべき人物とすれ違った。それは、人力車を引いて日本一周をしているという若者であった。自転車よりもはるかに大変な人力車という手段をあえて選ぶことで、彼は、「人との距離が近くなる」と話した。立ち止まらざるを得ないからこそ、声をかけてもらえる機会が増え、それが旅の財産になるのだと。彼は明石に住む料理人で、さらに驚くべきことに、「下駄マラソンのギネス世界記録」保持者であり、その記録は未だに破られていないそうである。人力車に乗せてもらい、漕がせてもらったが、その重さ(100kg以上)と値段(180万円)には驚いた。この若者とは、一度別れた後も、別府、延岡と、行く先々で何度も再会した。彼と話すと、その周りにいるユーラシア大陸を走っている友達など、面白い人の輪が広がっている話をしてくれる。結局、私は旅の間、彼と3日か4日を共に過ごした。この経験は、「良い波長を発していると、良い人や縁が引き寄せられる」ということを、私自身に深く実感させてくれた。
 旅は計画通りにいかないからこそ面白いが、人生の深い縁を感じさせる信じられない偶然が二度あった。最初は47年ぶりの大学時代の友人との再会である。大学時代、尺八部というクラブで一緒だった友人がいた。私は九州に行ったついでだと思い、彼が住んでいた宮崎県延岡市の旧住所を訪ねてみた。住所には現在建物もなかったが、彼が教師をしていたというわずかな情報を頼りに、近くの市民館を訪ねてみた。そこで出会った2人組のご婦人に「館長さんは学校の先生でしたか?」と尋ねたところ、「館長は入院して今ここにはいない」との返事であった。友人の名前を言って知らないか尋ねると、何とそのご婦人の一人が私の探す友人の兄弟と友達だった。そのご婦人は普段はその場にいないにも関わらず、たまたまその日、その時間、施設の入口で立ち話をしていた。私が一歩でも遅れていれば出会えなかったのである。彼女の仲介で、その友人との50年ぶりの再会が実現した。お互いにびっくりしたことは言うまでもないが、人生の縁とは、時空を超えて繋がっているものだと痛感した。もうひとつの偶然は、四国のお遍路の旅路において、愛媛県の「お遍路ハウスやまもも」に宿泊した時のエピソードである。宿のご主人から、私と同じように一人旅で来た別の旅人が書いた「旅の記録」を見てほしいと勧められた。その記録を読むと、「尺八を持って日本を自転車で一周している変な人がいる」という記述があり、それがなんと私自身のことであり、2019年に北海道で二度会った別の旅人の記録であった。私が泊まっている宿に、私自身の旅の記録が残されているという奇跡。旅人が同じ目的で同じ場所を巡ることで、人との縁が、時間と場所を超えて繋がっていく、旅ならではの不思議な体験であった。
 旅先では、ホテルのバーや、礼文島の伝説のユースホステル「桃岩荘」などでも、尺八の演奏を披露し、多くの旅人と心を交わした。音楽は、言葉の壁を越え、その場の雰囲気を一瞬で和ませ、深い交流を生み出してくれる、旅の素晴らしいツールであった。また、皆さんにお伝えしたい情報として、北海道興部(おこっぺ)の電車宿を紹介する。北海道の興部町には、廃線になった鉄道の車両を宿泊施設として活用した無料の「電車宿」がある。これが非常にきれいに整備されており、電気も完備されていて、一人一畳ほどのスペースがあり、旅人同士が集まり、語り合う最高の交流の場となっている。ここに集まってくる人と夜通し旅の話をしたのは、本当に楽しい思い出となった。これは、失われたものに新しい価値を与え、地域を盛り上げる、日本の知恵だと感心した。
 東北地方では、東日本大震災の現場の復興がどのように進んでいるか見ることも旅のミッションのひとつとしていた。東北の三陸海岸を訪れた際、海岸がどこも12メートルを超える巨大な防潮堤で海から隔てられていた。安全確保は最重要であるが、命と引き換えかと思うと少し悲しくなった。また地元の方々から震災時の生々しい話を聞き、旅の楽しさの裏側にある、自然の脅威と人間の無力さ、そして復興の難しさを深く学んだ。
 今回の旅においては、家族や知人へ無事を知らせる目的もあり毎日の活動をブログに綴りインスタグラムで発信していた。このブログに書き綴っていた記録を、「ぜひ多くの人に疑似体験してもらいたい」という強い思いがあり出版という挑戦をした。高いハードルであったが、縁あってAmazonのKindleから『シニアだからできる!日本一周自転車旅』という本を出版できた。この本には、212日の全行程で泊まった208泊すべての宿泊地の情報(ホテルから空き地、公園、善根宿まで)を住所付きで詳細に記載している。私の旅のノウハウをすべて詰め込み、この本と、自転車、そして「いきたい」という気持ちがあれば、誰でも日本一周ができるように作った自信作である。皆さんには、定年後などに、「自分にはちょっと無理かな?」と感じる程度の目標を見つけて挑戦することをお勧めしたい。そうすることで、人生は再び大きな感動と喜びに満たされる。この本が、その一歩を踏み出すきっかけになれば嬉しく思う。
 最後に私にとって旅は、「日常という名の安定から抜け出し、自分を無防備に、剥き出しにする行為」であった。旅は大まかな方向性だけを決め、あとは行った先々で、出会った人や情報に導かれて次の行き先を決めていった。私の旅の目的は目的地ではなく、そこに行くまでの過程、つまり「道中」そのものであった。また、旅は私に「波長の合う人とは必ず会える」という真理を教えてくれた。朝、目を覚ますと「今日はどんな人に会わせていただけるのかな」と毎日ワクワクした。旅を進める上で、いつも感じたのは、自分が良い波長を発信していると、不思議と良い人が集まってくるということである。これは、仕事や日常生活においても全く同じだと思う。知らない人ばかりの中で、惜しみない親切と温かさに触れることで、人に対する信頼感を確信することができた。この旅で得た「前へ進む力」と「縁を大切にする心」を胸に秘めて、これからも人生という旅を歩んでいきたい。