2025.5.20 第487回東三河産学官交流サロン
1.日 時
2025年5月20日(火)18時00分~20時30分
2.場 所
ホテルアークリッシュ豊橋 5F ザ・グレイス
3.講師①
愛知大学 法学部 教授 西本 昌司 氏
テーマ
『石材から垣間見える経済』
講師②
株式会社エムスクエア・ラボ/やさいバス株式会社 代表取締役 加藤 百合子 氏
テーマ
『農業×ANY=HAPPY ~農業のチカラで地域をHAPPYに!~』
4.参加者
65名(オンライン9名含む)
講演要旨①
私の専門は地球惑星科学の特に岩石学・石材で、さまざまな石についての研究をしている。これまで鹿児島県の菱刈金山で金鉱脈の調査を行ったり、モンゴルのゴビ砂漠で恐竜化石発掘調査に同行したりするなど、自然の中で地質調査をしてきた。しかし、最近では、歴史的建造物の、例えば赤坂迎賓館などに使われている石材の調査も行っている。
石材研究をしていることもあって、まちなかの石めぐりイベントをよく依頼される。この前も、東京の銀座で一般の方を対象とした石巡りイベントを行い、特別な許可を得て高級ブランドのアルマーニ銀座店の店内に使われている石材を見せていただいた。トップブランドの店内だけあって子どもが見て「すごい」と声があがるほどの石材が使われていた。たとえば、ブラジル産のアズールマカウバという石材はブルーのさざ波模様が印象的である。
こうした街なかの建物などに使われている石材を見ていると、建設当時の経済状況を反映していると感じる。名古屋駅周辺では、ミッドランドスクエアは47階まで全ての壁面にカナダ産の花崗岩が使われている。NHKラジオ「子ども科学電話相談」に出演する際、スタジオの窓から見えるビルの中では、東京オペラシティ(1996年竣工)、新宿パークタワー(1994年竣工)、東京都庁(1991年竣工)、NTTドコモタワー(2000年竣工)、代ゼミタワー(2008年竣工)には下から上まで石材が使われている。こうした事例から、富が集まる場所、重要な場所に石材が多く使われているということがわかる。
経済活動で重要な場所といえば、銀行である。5年前に放映された銀行が舞台のドラマ「やられたらやり返す、倍返しだ」の「半沢直樹」は、多くの方がご覧になったと思う。劇中に出てきた「東京中央銀行」の建物は、実は上半分がCGだが、下半分は東京の日本橋にある三井本館で、近代化が進められた時代の1929年に建てられ、大きな石材に覆われている。
ここで、石材と経済について愛知大学を例に考察する。愛知大学には、豊橋、車道、名古屋の3つのキャンパスがあり、それぞれのキャンパスで最も重要な建物である本館を見ていく。まず愛知大学発祥の地である豊橋キャンパスの本館は1996年の竣工で、下から上まで全て石材が使われており素晴らしい外観である。彫刻まで施され、凝ったつくりとなっている。使われている石材はカナダ産のポリクロームという花崗岩である。次に、現在は本部となっている車道キャンパスは2004年竣工で、やはり下から上まで石材で覆われている。ただし、カナダ産ではなく、近場の中国産の花崗岩に変わっている。笹島にある最大の名古屋キャンパスの本館は2017年に竣工で、石材が全く使われていない。まとめると、各キャンパス本館の建築年代は1990年代、2000年代、2010年代。90年代には、高級石材をふんだんに使うことができたが、2000年代は少し節約し、2010年代は、石材は床に少しだけ使われているのみとなった。いかにも建設当時の経済状況を反映している。
日本全体での石材の輸入量の変遷を見るともう少し状況が分かる。材料としての石材の輸入量は90年代に上昇し続けてピークを迎えたが、90年代後半から大きく減少しており、現在はほとんどない。一方、増加しているのは、製品の輸入量である。以前は原石を輸入して国内で加工していたが、バブル崩壊以降は、輸入して国内で加工する余裕がなくなり、中国などで加工したものをそのまま輸入する時代となった。その結果、石材加工の技術も失われてきたのは残念なことだ。東京駅の駅前広場の行幸通りにつながる部分は国産の石材で造られたが、そのために国産石材を一度中国に持っていき、加工して再輸入しなければならないといった状況である。失われた30年といわれる経済状況の変化から、石材が今や贅沢品になってしまった。昔から重要な場所にしか使われていないのだから、もともと贅沢品ではあるが、以前よりもさらに贅沢なものになってしまったと感じる。
では、ここまでの話を踏まえて、東三河、特に豊橋の石巡りをしてみたい。石材は景観を作り出す重要な素材であり、こうした意味も含めて、身近にある石の存在に気づいていただきたいと思っている。まずは、駅前にあるホテルアソシアである。エントランスには、壁、床、内装全てに石材が使われている。内部にはヨーロッパ産の大理石なども使われており、かなり力を入れて作られていると感じられる。
豊橋のシンボルの吉田城を見てみよう。お城といえば石垣というイメージを持つ人が多いかと思う。吉田城も石垣に囲まれているとイメージするかもしれないが、吉田城全体が石垣で覆われているわけではなく、土塁として土を盛っただけの部分が意外と多くある。石が使われている部分は特に重要な場所である本丸や天守台(鉄櫓)である。天守台北側の石垣に使われている石は、チャートや白い石灰岩といった岩石で、豊橋近郊の山や、田原市など渥美半島の海岸に露出した岩石が、おそらく船で運ばれてきたと考えられる。ところが、天守台以外では違う石が使われており、最も多いのは幡豆石と呼ばれている石材である。幡豆石は、名古屋城の石垣に最も多く使われている石でもあり、名古屋城築城に伴って開発された石切り場の石が、江戸時代になって豊橋の方にも流用されたのかもしれない。このように、石材を見るだけで様々なことを推測できる。
街なかの石を使った美しい建物として市制施行25周年の1931年に竣工した豊橋市公会堂がある。階段付近は岡崎の花崗岩が使われている。あいち銀行豊橋支店(東海銀行の前身の旧名古屋銀行の豊橋支店)は、上部はコンクリートだが、下の腰壁は花崗岩でできている。私の見立てでは、信州南木曽の花崗岩で、信州からここまで運ばれていたことが分かる。これら歴史的建造物の石材を知っておくことは、破損した際の修復材選定に備えておくためにも重要である。
豊橋の市電の線路部分にも、一部となるが石畳が残っている。路面電車の敷石は、大阪、東京、名古屋などでは、神社の参道や公共の公園の石畳などに再利用されている。豊橋にもそうした場所があるのかと思い探したところ、広小路通りの歩道がずっと石畳であり、ひょっとすると豊橋市電の敷石を再利用したのではないかと個人的には思っている。今や非常に貴重な石畳だろうから、豊橋を代表する景観を作る道として保存してほしいと願っている。
豊橋の玄関口となっている駅ビル「カルミア」2階コンコースには、スペイン産のクレママルフィルという高級大理石が使われている。また、ホテル入口にはノルウェー産のエメラルドブラックという珍しい石材が使われていている。しかし、ホテルアークリッシュ豊橋には、床に中国産の花崗岩「泉州錆」が使われているものの、外壁には石材が一切ない。2000年から2005年頃以降に竣工したビルには、本当に石材が少なくなっている。経済状況の変化とともに、街からどんどん石材が消えている。
これは名古屋でも同様である。名古屋の地下街のセントラルパークでは、改装に伴い壁面の大理石がベニヤ板で覆われてしまった。同じ石材を再度購入しようとすると、高価すぎて公共の費用では難しいとは思うが、磨き直せばかなり綺麗になるだろうに残念である。私のそんな気持ちを知ってかどうか知らないが、名鉄百貨店70周年企画として、リニア開業に向けて取り壊しが決まっている建物に使われている石材を調べることになった。百貨店玄関にはブラジル産のオウロガウチョという花崗岩が使われているほか、名鉄バスセンターの階段には、イタリア産のロッソコレマンディーナという赤茶色の大理石が、名鉄グランドホテルには、独特の模様の赤ランゲドックというフランス産の大理石が使われている。それぞれ、銀座の和光の地下、ベルサイユ宮殿の大トリアノン宮殿に使われているものと同じ石材で、今の日本の経済状況を見れば新規での入手は難しいだろう。
そんな石材の価値を分かっている人がいたと感じられるような石材の再利用例を紹介する。2008年に竣工した名古屋インターシティの地下エレベーターホールには、旧名古屋興銀ビルに使われていたスウェディッシュグリーンという大理石が再利用されている。解体前に一度剥がして工場まで運んで磨き直し、再度貼り付けられた。スウェディッシュグリーンは名前の通りスウェーデンの大理石で、スウェーデンのストックホルム市庁舎に使われている。ストックホルム市庁舎はノーベル賞授賞式の晩餐会が行われる場所であり、その階段に使われている石材が、名古屋で見られるのである。もう一つの例は、2006年竣工のミッドランドスクエアである。ミッドランドスクエアが建設される前にあった3つの各旧ビルで使われていた大理石を1つのアート作品にして、それぞれを運営していた3事業者(東和不動産株式会社、トヨタ自動車株式会社、株式会社毎日新聞社)の連携を表現したという。
豊橋にも気になっている石材がある。精文館書店本店のエレベーターホールの周りに使われている石材は、岩手県一関市産の「叢雲」という石灰岩である。近代建築で時々見かける石材ではあるが、これほど大規模に使われているのは、全国でもここくらいではないかと思う。また、1967年に竣工された豊橋北星ビルには、ロッソマニャボスキというイタリア産の石材が使われており、外壁に使われているため酸性雨で少し表面が荒れているが、アンモナイトの化石が観察できる。同ビルのエレベーターホールには、ローズオーロラというポルトガル産のピンクの貴重な大理石が使われており、これまた貴重で美しい石材である。1989年竣工の豊橋イーストビルに使われているのはペルリーノロザートというイタリア産大理石で、以前は名古屋の丸栄百貨店にもたくさん使われていたが取り壊されてしまった。このような石材は、経済が強かった頃だからこそ得られた貴重な石材であり、今や容易には入手できない。各地で再開発計画が進められているようだが、街の景観に活かしながら、石材の再利用についても検討いただければと切に願っている。
講演要旨②
最初にタイトルにある、「農業×ANY=Happy」という方程式を紹介する。私自身、静岡に移り住んだのが 23 年前であり、大学は農学部出ているが農家との接点がなく、実家も農業には関わっていない商売人の家庭で育った。創業する半年ほど前に初めて農家と話をするといったような状況ではあったが、3年ぐらい取り組んでみて農業はすごいと思っている。以前は産業機械やロボットの研究開発をしており、農業に転身して家族や周囲からは反対の声もあったが、始めて1年ぐらいですっかりその魅力の虜になってしまった。農業には課題がいろいろあるが、何か別の物と掛け算をすると、課題解決が難しくなるのではなく、むしろスマートに解決していくことに気がついてこの方程式に至り、さらに農業に関わることが楽しくなり、アイデアも生まれていろいろな事業を起こしている。農業は社会基盤産業であり、人類がこれだけ繁栄できたのも農業により食料の生産性を上げられたことから始まっている。分業化により離れてしまった農業と他産業を再度融合し、無理なく・美味しく・楽しくをモットーに事業を推進していきたいと考えている。
「M2Labo」を2009年10月に設立した。本社は静岡県牧之原市にあり、開発拠点の「SVLabo」を静岡県内に持っている。2024年7月スズキ株式会社と「Mobile Mover」事業創造で共同開発を開始した。こちらは小型農業用マルチワークロボットである。「やさいバス」は流通に関する事業であり、愛知県や豊橋市内でも事業展開している。掛川駅前に先週テストオープンした「やさいバス食堂」は、地域の人たちが美味しいものを食べながら未来への1歩を踏み出せる場として、グランドオープンに向けての準備をしている。また、インドに「M2Labo Bharat」という子会社を設立した。別の要件でインドを訪問した際、その魅力と将来性を感じてインドでの農業事業の展開に向けた準備をしている。近々ではインドのマンゴーを直輸入して地元スーパーで販売いただいたりした。世界一美味しいマンゴーという言葉を信じて輸入したが、その言葉に偽りはなく味は好評であった。このように「農業×ANY=Happy」をベースに、生産技術から流通まで取り組んでおり、将来的には日本同様にインドでの展開を目指している。農業は社会基盤産業であり、自分たちでできることもあるが、肥料や種苗など自分たちではできないことも多い。インドという海外を経験し、日本の種苗技術をはじめとする農業技術は本当にすごいとあらためて感じており、これをパッケージ化してインドで実装することを目指して準備を進めている。
「農業×ANY=Happy」の実例として各事業の事例をもう少し詳細に紹介する。「Mobile Mover」は、小型のマルチワークモビリティであり、スズキ株式会社から足回りの土台部分の提供を受け、同社と共同開発している。工業用ロボットのような生産性や効率化だけを目指すものは農業には適さないと感じており、農家も一緒に開発に携われて、レゴブロックのように、「Mobile Mover」の上に取り付ける「雑草を刈り取る」、「収穫する」、「見回りする」などの様々な機能のアプリモジュールを愛知県の企業など多くのパートナーと共同開発している。農家は必要な機能を必要なだけ揃えれば良いため、比較的低価格で導入が可能となる。最近はChatGPTや生成AIの活用により開発はスムーズになっており、自動走行の開発プログラム自体は数週間で作成可能になっている。しかし、その後の厳しい農業現場でのテストが大変であり、実用化に向けてトライ&エラーを繰り返して完成度を高めていくことに時間がかかる。面白い事例として、テスト機を愛知県のいちじく農家が手作りでベニヤ板などを使ってダンプ機能を作成してモディファイしていた。このように最終機能を農家の手にゆだねることで、このロボットがきっかけとなって皆が楽しく開発していけると良いと考えている。
流通における「やさいバス」は、以前から農作物は運びにくい、運べないといった課題があり、地域のシェア便で流通課題を解決する事業である。これは人が乗るバスと同様に、地域で決めたバス停のように集配場所を地域で決めて、野菜が乗り降りする仕組みである。現状の農業流通は生産者から消費者までJA、市場、バイヤー、仲卸し、八百屋など多くの段階を経る多段階流通となっており、収穫から食べるまでに平均4日間かかる上に、情報が分断されており、商売の信頼関係が途切れていることが大きな課題の芯である。「やさいバス」は、受注が起点となり物流までを動かす「商物一体」となったシステムを開発し運営している。情報の共有を進めることで物流費を最適化でき、実際、情報共有や福祉法人と連携して近くにいる人に協力いただく形に変更すると、昨年は売上が1.5倍になったのに関わらず、物流費を半分に削減できた。地域の中を見ると未活用の資産があり、まだいろいろなアイデアで物流費が削減できると思っている。こうして「やさいバス」は物流事業というよりも、地域をつなぐ事業として各地で運営しており、現在13都府県で運行している。エリアがつながってきたことで、より広域への輸送も可能になり、農家の収入を増やすために遠方へ販売することも進めている。インドでも展開したいと考えているが、インドではコールドチェーンなどもまだ整備されていない状況であり、道路状況も劣悪であるため、インフラの状況を見ながら将来的には、「やさいバス」のような取組を実装したいと考えている。
掛川駅前にオープン予定の「やさいバス食堂」は、230㎡の素敵な場所である。会員制でビジネスクリエイションとして人と人をつなげて、美味しいものを食べながら未来への一歩を踏み出そうといった企画を進めていきたいと思っている。掛川市という限られたエリアではあるが、地域の人たちが活躍するチャンスを提供していきたいと考えている。
事業をインターナショナルにしていきたいと考えているため、現在の社員の約4分の1は海外出身である。各国から来ており、インド人社員もいるが、ガーナからのインターンシップ生も受け入れている。彼女はAPU(立命館アジア太平洋大学)でMBAを取得後、インターンシップに来ている。
インドでの事業展開であるが、インドは非常に面白い国であり、誰も手を付けていない分野もあって大きなビジネスチャンスがある。「M2Labo Bharat」という子会社を設立し、私とインド人2名がディレクターを務めている。事業としては日本同様の統合パッケージを目指しており、現在は有機栽培のパッケージと施設栽培のパッケージを日本の品種と組み合わせてインドで大量生産するというモデルである。日本では既にJAなど仕組みが出来上がっているが、インドはまっさらな状態であるため、独自のブランドを立ち上げ、日本のイチゴをインドで栽培し、インド国内やドバイなどの中東で販売する予定である。余談になるが、ドバイでは大根1本が8,000円と高価であり、大根の栽培にも挑戦している。インドには日本とは比較にならない平坦で広大な農地と高冷地もあるため、イチゴは露地栽培も可能で、コストをかけずに質の高いものが生産可能である。インド国内でも十分な需要があるため、基本的にインドで販売するビジネスモデルである。ラボ的なデモファームの「SVLabo」のメイン拠点はGujarat州のShabri村にあり、富裕層であるNitin氏が40年かけて村の改革(女子教育支援、ため池整備、農業指導)を進めてきた場所に、日本のメーカーのハウスなどを設置し、有機栽培技術を実装したデモファームとしている。将来は日本の農家の「Mobile Mover」をインドの子供たちが遠隔で操作して、日本の農業を支援しながらお小遣いを稼ぐといったことも可能になるかもしれないといったことも話しながら前向きに連携を進めている。また、イチゴはインドで商標登録「ICHIGO™」を申請しており、今後は他の日本由来の種苗や技術も日本語の名前で登録していきたいと考えている。インド人は親日的で、日本の技術や信頼性を高く評価しており、日本の国籍は活動がしやすいと感じている。
よく聞かれるが、なぜ他のアジア諸国であるベトナムやインドネシアではなくインドを選んだのかというと、インド人と日本人は違いが大きく、マッチングすると非常に大きなことができる可能性を感じたからである。また皆さん「華僑と」いう中国人のビジネスネットワークを聞いたことがあると思うが、それと同じくらい「印僑」と呼ばれるインド人ビジネスネットワークも強い。ここにファミリー感を持って入っていくことが重要である。契約書だけではうまくいかないことが多いが、このネットワークに入れれば多くのことがスムーズに進む。先日亡くなられた鈴木修氏が苦労して構築したインドのネットワークを活用させていただき、農業分野で深く入り込んでいきたいと考えている。
ここで、新規事業創造の経験から感じたことをお伝えする。良かった点として「本気の同志とつながる」「情報が集まる」「個人に評価がついていく」ことが挙げられる。インドでも本気であることは非常に重要である。一方で、スタートアップは薄い板で大波に乗っているようなものであり、「心の平安はない」という大変さもある。報酬もIPOなどが実現しない限り急増しないので、ある程度条件が揃わない限り起業はおすすめできないというのが私の経験からの結論である。しかし、そうしたことを知った上でも起業したいと思うのであれば、起業した方が良いと思う。実際に起業家仲間は変人かつリスク感度が低い人が多いと感じており、失敗などの経験を重ねてリスク感度が高まると思っている。最初からリスク感度が高い、賢すぎると起業は難しいかもしれない。起業は①チームで遠くにいくか、②一人でマイペースにいくかの2分類があり、どちらにするか最初に決めておくことが重要である。チームでいく場合は、事業構想段階からチームの形成が必要になる。私も最初は一人で創業したため、途中から仲間を集めることに大変苦労した経験からそう思っている。また、大企業などの新規事業として、その組織に属したまま安全な場所から新規事業をしても成功は難しいとも思っている。
イノベーションには「構想」、「実証」、「実装」、「展開」の4段階があり、最も深い谷は「実証」から「実装」への移行段階であり、ここを超えるためには、「人」、「物、」「金」の全てが必要である。この死の谷を越えるには、最初からのチーム形成が重要であると研究者である大学教授とのディスカッションを通じて明確になった。オープンイノベーションなどに取り組む際も、構想段階でどれだけ良い仲間に出会えるかが鍵となる。「やさいバス」も、事業化の3年ほど前から鈴与株式会社と一緒に検討を進め、研究開発の一環として後押しいただいたおかげで死の谷を越えて実装、展開に至っている。また、こうした事業創造においては、「課題の芯」をつくことが重要である。これは「そもそもデザイン的課題」とも呼ばれ、どれだけ表面的な課題(例:農家さんの売上が上がらない)に取り組んでも、根本原因(例:信頼の断絶)に当たらないと全体は良くならない。「課題の芯」を突き詰め、解決の仮説を構築し、それを実行するチームを作り、実証しながら確度を向上させていくという手順である。PDCAは後々の段階であり、最初からPDCAを回そうとすると何も立ち上がらない。仮説のループを回し、トライアンドエラーを繰り返すことが必要であり、これが許される地域や国にならないと日本は浮上しないと感じている。インドはPDCAが苦手であるが、皆が「わーっ」とやって「失敗したら次」という状態であり、これから上がっていくしかない。日本の製造業などがインドに進出し、今一生懸命カイゼンやPDCAを教えている状況である。
最後に、今は「こころの時代」に突入しており、特に若い世代は物欲が少ない傾向にあり、美味しいものを友達と食べたり、自分にとって充実した時間を過ごすことを重視している。課題は尽きないが、皆に活動に「乗って」もらうためには、課題解決のプロセス自体が楽しくなるような仕掛け作りが必要である。農業という特に苦しい業界にいるからこそ強く感じるが、多くの課題があっても、一歩でも半歩でも進み出すことが楽しいと思ってもらえるかが現代の経営者に求められていることだと考えている。