2026.3.17 第497回東三河産学官交流サロン
1.日 時
2026年3月17日(火)18時00分~20時30分
2.場 所
ホテルアークリッシュ豊橋 4F ザ・テラスルーム
3.講師①
豊橋創造大学 経営学部長・教授 上原 衛氏
テーマ
『東三河の地域社会における、サステナビリティ経営に必要な経営倫理と人材育成』
講師②
三信鉱工(株) 代表取締役社長 三﨑 順一氏
テーマ
『鉱山開発と手作りコスメ』
4.参加者
55名(オンライン参加3名含む)
講演要旨①
東三河地域におけるサステナビリティ経営の実現に向けて、「経営倫理」と「人材育成」という二つの視点で東三河の地域において私が重要だと思うことについて話をさせていただく。本日の内容は、①サステナビリティ経営に必要な経営倫理、②サステナビリティ経営に必要な地域全体での人材育成、③人材育成と地域発展の「正のスパイラル」を高速で回す、④まず手始めに、の順番で話をする。「実務」と「学問」を橋渡しする私の異なる2つの世界における経験が、本日のテーマの土台になっている。
銀行員として22年間実務の世界に身を置き、企業融資、人事企画、海外企画、市場性商品開発、国際投融資など、多様な分野に携わってきた。2001年のアメリカ同時多発テロの時には海外企画部門の海外拠点リスク統括マネージャーを勤めており、世界各地に広がる拠点に対して、航空機の利用を禁止するなどの緊急指示を出す一方で、災害対策本部を立ち上げ、情報収集と意思決定を行った。しかし、その過程で強く印象に残っているのは、自らが作成したマニュアルを前にしても頭が真っ白になってしまい、何から手をつければよいか分からず即座に行動できなかったことである。このマニュアルがなかったら、絶対対応できていなかったと思っている。リスク管理として、マニュアルや訓練は絶対必要であり、東南海地震が発生した場合も、マニュアルを整備して日頃から訓練を行っていないと、絶対対応はできないと思っている。
米国では同年12月に当時同国最大手のエネルギー会社であったエンロン、翌年の7月に当時同国2位の通信会社のワールドコムといった巨大企業が相次いで急に破綻した。いずれも粉飾決算に代表される経営倫理の欠如が原因であり、金融機関にも甚大な損失をもたらした。これらの事例を通じて強く感じたのは、リスク管理の重要性である。
その後大学教員になり、専門は経営工学であるが、人的資源管理、企業の社会的責任(CSR)、企業倫理なども研究してきた。縁があって豊橋創造大学で教鞭をとることとなり、初めて豊橋市に住んだが、温暖かつ自然が豊かでとても住みやすいまちだと感じている。調べてみると、豊橋市は日経クロスウーマンの「共働き子育てしやすい街2025」で全国第6位となっており、私が感じた住みやすさは立証されていると思っている。しかし、東三河地域でも人口減少が進展しており、地域を考えた場合は、他の市町村、大学、企業、住民が一致団結して住みやすい地域を目指していく必要があると思う。
サステナビリティ経営に必要な経営倫理は、利益至上主義などいきすぎた自由経済がもたらした地球環境の悪化、深刻な経済格差、人権問題などは、経済至上主義の限界を示している。不祥事の真の引き金として、「無理な事業計画」「撤退しない無策」「無謀な新規ビジネスへの進出」「取引先への過度な忖度」などがあり、学問的な経営倫理やガバナンスというものだけでは済まないと思っている。しかし、これを大学教育の中でどのように伝えるかは極めて難しい問題である。教科書的な知識として座学で説明しても、それだけで学生は理解できない。実際の現場での葛藤や判断の重みを理解させることは容易ではない。インターンシップや実際に社会に出て働いて経験してみないと理解できないかもしれないと思う。「強固な経営倫理(ビジネスエックス)」は、企業はただ儲ければ良いというわけでなく、地域とともに成長するサステナブル経営に舵を切り、やり続けるしかない。
学問として知っているだけであれば机上の空論であり、組織文化論や行動倫理学の成果を、実践と融合し、現実の企業内教育や制度設計時直接落とし込むことが重要である。このようにして地域社会のサステナビリティを支えるには、人材育成をしなければならない。
人材育成は大学だけでは難しい。現在もまだ主流と思われる従来の時間をかけた人材育成であるOJTは、生成AIの急速な発展に代表されるような社会やテクノロジーの変化とそのスピードに全く追いつかない危機に直面している。
東京の私立大学で私が担当した「人的資源管理論」の授業の秋学期後半に、履修した学生に就職後のキャリアに関するアンケート調査を実施したところ、「定年まで同一企業で働きたい」と考える学生は約26%、「「10年以上働く」とした学生は21%、キャリアアップの機会があればいつでも転職する」とする学生が36%、「3年以内で転職・独立・起業を考える」とした学生は5%であり、長期間の雇用を前提とした考え方からは明らかに変化していた。いつ辞めるか分からないような人材をどのように育てていくかは、非常に難しい課題であると思う。企業が従来のように長い時間をかけて人材を育成することが難しくなり、短期間で戦力化する仕組みを構築する必要に迫られている。
豊橋創造大学が実践する新しい人材育成のアプローチとして、座学による「知識」の取得だけでは駄目であり、地域社会そのものを大学のキャンパスと考え、地域の企業などの皆様と一緒にプロジェクト活動を行い、座学による「知識」と「地域での実践」を融合させて人材育成をしている。経営学部は、もとは経営情報学部であり、情報を使った経営の考え方を学んでいる。教室だけでなく、東三河そのものがキャンパスである。行政、大学、企業、地域住民が一緒になって地域全体で人を育てていくという考え方が必要であると思う。私はこれを「地域全体がキャンパスである」という概念で捉えている。
これを実現させていくためには、人材育成と地域発展の「正のスパイラル」を高速で回していくことが必要である。ステップ1として、大学を中心に地域をキャンパスとして地域全体で人を育てる。ステップ2として、育った人材が地域で自律的に活躍し、地域企業や地域社会に定着する。ステップ3として、企業および地域社会が発展し、健康で幸福な生活が実現する。ステップ4として、魅力的な地域になり、新しい人が集まってくるという循環になる。「人材育成 → 地域への定着 → 地域の発展 → さらなる人材流入」という「正のスパイラル」を持続的に回していくことが、地域のサステナビリティを支える基盤となると思う。このスパイラルをAIやDXを活用し、超高速で回して世界の流れに追従していくことが極めて重要である。人が中心となって地域住民のニーズを深く理解し、大学、行政、企業、住民が力を合わせて「正のスパイラル」を持続的に回していく。AIやDXを活用して子育て世代が効率的に仕事を進め、子育てのしやすい地域環境にするとともに、シニア層の知見をAIに学ばせ、経営者自らAIを活用してより働きやすい職場の実現が可能になる。
こうしたAI導入に対する不安や抵抗感も存在する。セキュリティの不安などあるかもしれないが、セキュリティを考えながらまず使っていくことが重要であると思う。大学の授業でリーダーシップ論を教えているが、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という名言がある。これには続きがあり、「話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を、感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」であり、この続きの部分こそが、まさに現在の要諦であると思う。若手に対し、「まず自分で考えろ」というのは、現代では上司の怠慢であり、AI時代の指導法として、案やたたき台は指導側もしくはAIが用意し、その上でやって見せて見本を示し、賞賛、承認、傾聴、感謝で育成することが不可欠である。AIは効率化だけでなく、心理的安全性に寄与するといった側面も持っている。AIを使うことで従業員の心理的安全性が高まれば、働きやすい職場になると思う。
持続可能な東三河を共に創り上げるには、経営倫理に基づくサステナブルな視点を持ち、旧来の枠組みを超えた地域全体での人材育成を行い、恐れずパートナーとしてAIやDX技術を活用していくべきだと思う。そうすれば、東三河は日本で最も自律的で、幸福に満ちたサステナブルな地域に進化すると思う。そのためには大学と行政、企業、地域住民といった地域社会が一体となって、人材育成のスパイラルを回していきたいと思う。
講演要旨②
本日は、当社・三信鉱工株式会社の仕事内容についてと、手作りコスメを始めたいきさつについて話をする。当社は鉱山で絹雲母(セリサイト)を掘っているが、セリサイトの現物を持参したので皆さん触れてみていただきたいと思う。手の甲で広げてみると、その滑らかさに驚かれる方が多い。東栄町では3月14日、三遠南信自動車道の東栄インターチェンジから鳳来峡インターチェンジ間の7.1㎞が開通し、これから盛り上げていこうという状況である。私が東栄町に戻ってきた時、人口は約5,000人であったが、人口減少が続き、現在は約2,600人となっている。町域の91%が山林で、主な産業は林業と建設業である。また、皆様ご存知の700年の歴史を誇る重要無形民俗文化財「花祭り」がある。
絹雲母は和名で、英名はセリサイトになる。専門用語では層状ケイ酸塩鉱物と言い、白雲母の微細なものと考えていただければと思う。白雲母は、理科の準備室などにある、板状の結晶が重なったようなものであり、その結晶が微細になったものがセリサイトである。見た目は違うが、分析すると成分は全く同じであり、この微細な結晶として世に出たのがセリサイトになる。ちなみに、海外では、インドとパキスタンの国境地帯でも採掘されているが、そこは非常に危険な地域であると聞いている。
次に、当社がなぜ東栄町にできたのかについて話をする。私の祖父、三﨑明麿がこの会社を作ったが、祖父は北海道生まれで、鉄道畑を歩んできた。現在の飯田線は最初から一本の路線だったわけではなく、4つの私鉄によって建設が始まった。そのひとつ、東京に本社があった三信鉄道に祖父は勤務しており、そこから派遣される形で東栄町にやってきた。難工事の末に開通したが、なかなか乗客が増えず、別の事業を考える中で目をつけたのが、東栄町と旧津具村にある津具金山であった。ここは戦国武将・武田信玄が経営していた山であり、奥三河は武田信玄が統治していた地域の西南端であったようである。戦国時代、武田信玄は津具川で砂金を発見し、金掘奉行と金堀師を派遣して津具金山を発見した。河床から山に向かっていくつもの坑道が掘られ、古町には精錬所が設けられた。いわゆる甲州金二十四万両はここから採掘されたとも伝えられている。
明治生まれの祖父は、鉄道会社の社員でありながら「山をやりませんか」と誘われて手を挙げた。祖父は死ぬまで「金」と言っており、私の父も常に石の金の含有量をチェックしていたため、2人ともに本当は金山経営をやりたかったのかもしれない。また、鉄道会社が金山に関心を持ったのは、当時はトラック輸送がなく、鉄道貨物を使って物流を動かしていたため、貨物量を確保するという発想も理由のひとつだと思う。
こうして1946年にスタートした当社であるが、創業当初は、これがセリサイトだとは分かっていなかった。当初はタルクという鉱物と思っており、当時は白土とも呼んでいた。ある日、東京大学の先生が来社し現物を見せたところ「これはセリサイトですよ」と教えていただいた。そこで、当時「三河タルク鉱業」だった社名を慌てて「三信鉱工」に変えたという経緯がある。「三信」という名前は、おそらく祖父が勤めていた三信鉄道が由来であり、三河と信州をつなぐという意味も込められていて、今年で創業80周年を迎える。
以前はエレベーターで地下135メートルまで降りていた。エレベーターは、下が丸見えのカゴのようなものであるが、2003年の台風被害でこのエレベーターは廃止せざるを得なくなり、現在は水平に坑道を掘りながら新しい鉱床を探している。機械で掘る規模ではないため、作岩機で穴を開け、火薬を仕込んで爆破しほぼ手作業で採掘しており、このようにほぼ手作業で掘削を行っている鉱山は、当社の他には兵庫県に1箇所あるだけである。その兵庫県の山も見学したことがあるが、そこは這いつくばるような姿勢を強いられる大変な現場であった。当社の山はある程度の高さがあり、安全を確保しながら作業をしている。
次にセリサイトがどうやってできたかについて話をする。かつては設楽火山帯という山が2つ並んでおり、大きな火山があった。その山が活発な火山活動をする中で、セリサイトができた。マグマが上がって噴火し、火山灰が降り注いで溶岩が流れ、火山灰が積もった新しい山ができる。これが、凝灰岩という石になるとともに、山腹付近に上昇したマグマが冷え固まって安山岩という石ができる。その安山岩と凝灰岩の境目に、マグマの熱で熱せられた地下水が上がり、周りの石を変質させてセリサイトになったといわれている。これは約1,500万年前の話で、セリサイトの結晶ができるまでには約1億時間かかっているそうである。地学は非常に面白い学問で、科学的に検証しながら、当時の様子に想像を巡らせている。
当社の絹雲母は肌触りがとても良く、不純物や重金属が非常に少なく純度が高いため、化粧品用として極めて高い評価をいただいている。約60年前の1960年代に、それまでは違う工業用途にセリサイトを使っていたが、父が「見た目がお白粉に似ているから化粧品に使えるのではないか」と考え、化粧品メーカーの門を叩いた。しかし、当時の化粧品業界は保守的で、最初はなかなか相手にされなかったが、何度も足を運ぶうちに、サンプルから少しずつ採用が広がった。転機となったのは、国内大手化粧品メーカーの原料として採用されたことであり、これにより化粧品原料として広く認知されるようになった。現在では国内主要メーカーだけでなく、欧米の有名なブランドなど、世界中で使われている。欧州の大手化粧品メーカーは、原料本部長が東栄町まで視察に来られて、採掘現場の地下の坑道まで案内した。その後も懇意にしてくださり、この経験を「あんなに神秘的な経験は他ではできない」と、後々まで話してくださっていたそうである。
次に手作りコスメ「NAORI」の話をする。ご承知の通り奥三河の人口減少は著しく、企業として求人しても人が集まらない状況であった。私は奥三河青年会議所の最後の理事長を務めたが、当時はメンバーが4人しかおらず、最終的に新城青年会議所に統合することとなった。山間部においては、青年会議所、消防、商工会、祭りなど、若手の役割が多く非常に忙しい。このように絶対的な人数が足りない中、地域の文化が死んでしまうのではないかという危機感を持っていた。そんな時、ある化粧品メーカーの技術者の方と話をした際に、「妻の肌が弱く既製品が使えないので、原料をビニール袋に入れて混ぜて手作りしている」という話を聞き、「ファンデーションはそんなに簡単に作れるのか」と驚いた。当社には希少な鉱山と化粧品原料というストーリーがあり、これを使って何かできるのではないかと考えた。例えば、鉱山見学をしてもらい、そこで採掘したセリサイトで手作りコスメのファンデーションを作ったら人が来てくれるきっかけになるのではないかと思った。
しかし、男性が化粧品について女性に話すのはハードルが高く、そこに違和感を感じて一旦話が頓挫した。奥三河ビジョンフォーラムで東栄町の地域おこし協力隊の大岡千紘さんと出会い、彼女がこのアイデアを非常に面白がってくれて「やりましょう」と言ってくれた。企画を練り、どうすれば人が来てくれるか考えながら試験的にツアーを動かして試行錯誤をしながらブラッシュアップしていった。こうして日帰りツアーとして正式に立ち上げたのが、ビューティーツーリズム「NAORI」である。「直り」とは、鉱山用語であり、岩脈が交差する場所を指す言葉である。手作りコスメの「NAORI」の活動は今年で10年目を迎え、最近では男性のお客様も増えている。これを東栄町を知る道しるべにしてもらい、交流人口、さらには定住へ結びつけたいと考えている。
また、資生堂の研究者に、私以上に東栄町に詳しい高松さんという方がいる。彼は学生時代に私設の「金子天文台」へ通っていた縁で、今も夏になると東栄町に来られている。ある時、お茶屋さんに留守番として座っている彼を見て、これこそが理想的な関係性だと思った。地域に溶け込み、笛を吹いて祭りにも参加する。急いで人口を増やすのではなく、このような深い関わりを持つ人を増やしていくことが「NAORI」の目的でもある。
手作りコスメがうまくいくようになり、地元の方からの助言もあって、当社の原料を活用した化粧品販売を行う「株式会社もと」を設立した。OEMメーカーと共同開発し、パウダーファンデーションなどを販売しており、「もと」は素材の「素」を意味している。
さらに、2年の開発期間を経て、東栄インターチェンジの開通に合わせて「セリサイトっぽいクッキー」を発表した。見た目が本物のセリサイトにそっくりで、展示会ではお客様が間違えて本物の鉱物を食べようとするほどであった。このクッキーは、名古屋から東栄町に移住された「サボン」というお菓子屋さんに作っていただいている。機会があれば、ぜひご賞味いただきたいと思う。
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