2025.9.24 第491回東三河産学官交流サロン
1.日 時
2025年9月24日(水)18時00分~20時30分
2.場 所
ホテルアークリッシュ豊橋 5F ザ・グレイス
講師①
アイティップス株式会社 代表取締役 クマール ラトネッシュ氏
コミュニティ推進マネジャー 永瀬 未希也氏
テーマ
『日本の職人不足をインドが救う』
3.講師②
愛知工科大学情報メディア学科准教授/有限会社アイラ・ラボラトリ代表取締役
手塚 一佳氏
テーマ
『アニメによる地域まちおこしの今』
4.参加者
48名(オンライン参加4名含む)
講演要旨①
クマール氏
私は名古屋市で生まれ育っており、父がインド人で母は岐阜県多治見市出身です。インドでは国内で20種類の言語が公用語になっているほどで、父母が別の言語を話すということも当たり前で、普通に4つ、5つの言語を扱える人も多く、語学のキャッチアップが非常に強いと思っています。インドの人口は15億人で平均年齢は28歳であり、35歳以下の人口は8億人です。ベトナムは1億人の人口において来日している人が60万人、それに対してインドは15億人の人口でありながら5万人しか来日していない。単純計算すると、60万人の15倍の人が来日する可能性があります。つまり、日本が人口減少して少子高齢化が進む中で、顕在化しつつある人材不足を解消してもらえる重要なパートナーになってくると考えています。日本の人材不足に対して、実はインドも問題を抱えており、確かに経済成長はしていますが、仕事の数が足りないため失業率がとても高く、調査によっては24%程度とも言われており、低く見積もっても若者の6,000万人程度が仕事がない状況です。こうしたギャップを解決したいと思い事業に取り組んでいます。
当社はインドで実際に建設業と製造業を運営しており、これにより日本とインドの現場のギャップをしっかり理解した上で、インドに訓練校を設置して、そのギャップを埋める教材やカリキュラムを作成し、日本式を丁寧に教える、彼らを理解した上での教育を行っています。訓練校の運営としては、他校と比較して厳しい学校であり、日本での適正の「ある・なし」をしっかり判断して、日本で働く適性がある人材、意欲がある人材に対して就職や定着の支援を行っています。
当社の強みの1つ目は、私が前職でインド最古の日系建設工事会社において5年以上雇われ社長という立場で経営をしており、日本のゼネコンや自動車メーカーなどから直接受注をして、インド現地工場や倉庫の外壁などの工事、外壁の建材の製造をしてきました。そこで培ったノウハウを活かして現在事業展開をしています。
2つ目の強みとしては、当社は非常に教育に力を入れており、日本人スタッフ、インド人スタッフ、日本から職人も派遣して現地で教育を行い、特定技能の建設の分野の試験においては、合格率が圧倒的に世界1位というしっかりとした実績を出しているということです。実技も大事にしており、とりわけ教育で重視しているのが、働く姿勢から始める職人教育、親方の育成です。当然、語学も重要ですが、挨拶をする、時間を守るといったことを非常に大事にして朝礼で「職人10か条」を毎朝唱和しています。当社が育てている人材は、特定技能1号に分類されます。これはいわゆるエンジニア職であり、建設業で言えば施工管理者であり、製造業ではCADや機械のオペレーターなどの育成もしています。
3つ目の強みが当社の一気通貫体制であり、当社は本社が日本、子会社がインドにあり、その間にブローカーやエージェントを一切置かず、直営で全てを運営しているということです。人材の獲得から育成、日本とのブリッジのサポート、来日後の生活支援、日本語の追加支援などを一気通貫で行っています。
こうしたことにより職人の文化への理解や高い教育力、低い失踪リスクを実現しています。実は、この低い失踪リスクが非常に大事であり、日本に働きに来る外国人の内、年間1万人ぐらいが失踪するとも言われています。失踪すると違法滞在や不法就労となってしまう可能性も高く、社会にとって不安材料になってしまいます。この原因が、来日するために100万円といった形で多額の借金を背負ってしまい、また途上国は金利が高いこともあり、借金が雪だるま式に膨らんで返済が難しくなり、失踪してリスキーで収入の良い仕事に就いてしまうことにつながります。当社はインドに現場を持っており、1年のカリキュラムのOJTとして、当社や他の日系企業の現場において日雇いとして働き、それによってしっかり対価を得ます。そのことにより払った学費とオフセットされるといった仕組みを実現しています。こうしたビジネスモデルを評価していただき、経済産業省や内閣府から様々な認定を受けて、建設人材と製造業の人材の育成をしています。卒業生は多くの企業に就職をしており、来日した2日後には現場に入るといったように、早期戦力として活躍できる人材が育っています。制度的な変更があり、インドから製造業の分野の特定技能の人材も試験を受けられるようになりました。当社はそれに対応して、まず女性限定であるが、製造業の特定技能の人材の育成を始めています。 当社の訓練校の卒業生は家族のもとを離れて、在留資格、特定技能1号の保有者として最長で5年間日本に滞在し就職します。さらに滞在中、特定技能2号試験に合格すると在留期間に上限がなくなり、家族の帯同が認められ、将来的な永住権取得への道が開かれます。来日、就職後と卒業生たちは日々実践を重ね、学びながら仕事を覚えていき、日本での活躍が期待されます。当社は来日後の定着支援も非常に大事にしており、いわゆる日本に来てから彼らがしっかりと活躍できるように、上司や先輩との間でコミュニケーションツールとしての評価アプリを提供し、コミュニティ運営として毎週のように日本語のオンラインクラスをやったり、先日はクリケット大会といったスポーツの大会も開催し、しっかり会社や日本社会に馴染めるような取組を行っています。私も日本とインドを往来していますが、インドでは生徒たちのバックグラウンドを知るため家にできる限り足を運んでいます。特定技能は技能実習と異なり、単独行動が認められているビザになるため、特にこれは建設業に言えることですが、1人で現場に行って帰ってこられるようにしっかりと日本の交通文化を学んでもらうような取り組みも行っています。ただの外免切替ではなく、しっかり日本の交通文化を理解できるような環境整備を企業と連携をしながら行っています。
※ここで永瀬氏より、卒業生2名の紹介と簡単な質疑応答を実施。
永瀬氏
本日は、卒業生に2人来てもらっており、会話形式で質問に答えてもらいます。サルマンさんは、昨日入国したばかりの23歳です。ファディさんは、24歳で5ヶ月前に日本に来て、春日井市に住んでいます。仕事は、エレベーター工事会社でエレベーターの設置工事をしています。
サルマンさんに質問します。日本に興味を持った理由を皆さんに教えてください。
サルマンさん
小さい頃から日本のアニメを見ていて、日本の食べ物と文化を好きになり、日本語を勉強して特定技能の試験に合格して、安全の訓練を受けて日本に来ました。
永瀬氏
訓練学校では何が大変でしたか。
サルマンさん
まず日本語です。また、ルールや文化の違いも理解するのに苦労しました。
永瀬氏
続いてファディさんに質問します。今の仕事は楽しいですか。
ファディさん
はい、楽しいです。皆さんが親切で、毎日いろいろなことや新しいことを学んでいます。
永瀬氏
日本に来てから、仕事や生活で困ったことを教えてください。
ファディさん
日本の駅は難しかったです。東京に行ったときは新宿駅で迷いました。また、ゴミ出しも最初難しいと感じました。
永瀬氏
休みの日に、どこか出かけたことはありますか。
ファディさん
名古屋港水族館へ行きました。また千葉で働いているインド人の友人に会って、一緒に東京観光をしました。
永瀬氏
休みの日は他に何をしていますか。
ファディさん
毎週土曜日は部屋とキッチンを掃除したり、お母さんや友達に電話をしたり、買い物に行ったりします。あと何か料理作ったり、友達と話したりしています。
永瀬氏
私は、5月にセントレアへ来日した卒業生を迎えに行った時に、初めてファディさんに会いました。今日は久しぶりに会ったのですが、彼は本当に日本語が上達しています。毎週自分たちで勉強して、仕事も一生懸命覚えていて、厳しい訓練校を卒業した生徒たちを皆さん会社に安心して送り出せると改めて私自身が実感した次第です。最後に、クマールラトネッシュ社長、インドで働くにあたって大変なことが何かあればお願いします。
※クマール氏のまとめの話
インドで働くにあたって先程ルールの話があったが、卒業生に聞くと、ほとんどの人がルールを守るのが本当に大変だったと回答します。日本人は空気を吸うようにルールを守りますが、インドでは目安であって、守らなければならない、強制されるものではないという意識があります。ただ、当社の訓練校ではルールを守らないと本当に退学になり、過去には全員退学にしたこともあるぐらい本当に厳しくしています。当社は学費をもらっていますが、先程説明したようにオフセットすることで非常に少ない金額しかもらっていません。その代わりに、そのコミットメントを求める形でお互いにwinーwinのコミュニティを作りたいと思っています。時間を守ることですら非常に大変な国ではありますが、非常に大きな市場だと実感しています。話は変わりますが、私がやりたいことは、日本の人手不足を補うといった話ではなく、その後のインド市場を一緒に攻めませんか、アフリカ市場を攻めませんかといった話をしたいと思っています。特定技能1号の保有者として、5年で帰ってしまうと単なる技術の流出になってしまう。日本の職人の大事な技術が流出してそれで良いというわけではなくて、職人の弟子をグローバルに持とう、そこをちゃんと回収できる仕組みまで作って技術伝承をしていきたいと思っています。
日本語指導のケアとして、教材は「いろどり」という話し言葉、聞き言葉を中心とした教材を使用しています。ですが、一番大事にしているのは、全て日本語を使うことです。当社の訓練校は入学式から日本語であり、訓練生は当然最初はわからないが、入学式の後で先輩が後輩に、今何の話をしていたかをちゃんと教えるという先輩後輩の文化を作りながらやっています。とにかく学校内の公用語を日本語にするということを意識して、先程話をした朝礼の職人10か条の唱和、安全の指差し確認など日本語で1ヶ月間ずっと学ぶといった形で、体で日本語を覚えてもらうことをやっています。トリッキーなブレイクスルーした仕組みをやっているわけではなくて、愚直に座学と実技を組み合わせながら日本語のシャワーを浴びてもらっているのが、当社の訓練校の教育のスタイルです。
私は結構こだわりが強い人間です。10代の頃に、父がインド人のため、冠婚葬祭でインドに行く機会もあり、高校を卒業してから1年弱インドに滞在しました。その時にインドの貧富の差を体感し、貧困問題を解決したいと思ったのが最初のきっかけとなり、学校を作りたいと思いました。大学生の時は電子マネーが世の中に普及し始めていた時期でもあり、電子マネーを使った寄付の仕組みを作って、自分で会社を立ち上げてやりましたが、うまくいかなくて結局就職しました。
なぜ今の事業をやり始めたかというと、もともと前職でいわゆる雇われ社長としてインドで建設業・製造業をやっていたときに、とにかくインドの職人さんの技術に起因する現場の遅延が非常に多かったからです。私の携わっていた外壁工程は、工程の後工程であり、前工程が遅れると当然、後工程は間接費も含めてコストが悪化するため、職人さんの教育をしないといけないと痛感しました。調べ出した時にやはりインドは資格制度もまだしっかりしておらず、本当に効率が悪いのでトレーニングセンター作ろうと思いました。これが10代のインド滞在時にやりたいと思っていたこととつながりました。インドで農業に次いで労働人口が多いのが建設業であり、たくさんの職人を育てていきたいと考えました。こうした中で日本の労働者不足の話を聞き、技能実習制度などを調べて、自社で一気通貫にやろうと思い、今の形になりました。
前職の時に、現場で日本から来てもらった日本の職人さんに、「これを直してください」とお願いしたときの対応の素晴らしさに感動しました。日本の職人の仕事に対する姿勢、責任感、プライド、これは宝だと思っており、地球にこの職人の良い文化をしっかり残していきたいと思っています。当社は、インドの方が先に組織が大きくなってきていますが、日本の若者と比較すると、インドの若者は素直でかわいい。しかし、インド人にこだわっているわけではなく、当社の訓練校「oyakata」スクール卒のブランド価値向上のため、ネパール、ブータンなど国籍や人種に関係なく、当社の厳しい訓練校を耐え抜いた卒業生が一目置かれるといった学校を目指していきたいですし、彼らが日本の職人さんの後継者として世界に羽ばたいてくれたら嬉しいという想いで続けています。